京都じどり(1)

25 3月

移動日オンリーの日だったのですが
現地につくとやっぱり現場が目の前にあるのに
ホテルでじっとしていられない地取り魂がうずいて
しょうがないのでとびでてしまいました。

◆聚楽第(じゅらくだい)
幸村が聚楽第の中に住んでいたのか、
通っていたのかわからないんですが
明らかに幸村がいたところ。
そして、政宗が1591年に初めて京都にきたとき
必ずきている建物。
だから、この二人聚楽第で会ってて
おかしくないんですよねえ…。

聚楽第はエリア名で、今はなにも残っていないのです。
発掘作業をした結果「ここらへんなんじゃない?」のおぼろげ地図がある程度。
規模的にはディズニーシーまるごと全部が同じ広さです。


ディズニーシーと聚楽第エリアを同じ縮尺でならべてみた!

そのなかにいくつか建物があって、
当時の政治を動かすところ兼豊臣秀吉さんの住まいなのです。
誤解を思い切りまねく気がしますが、イメージ的には
やくざさんのおうちってこんなかんじなんじゃないかと(笑)

組長(秀吉さん)が奥さんと住むプライベート建物群と、
組長が部下に指示を出したり
お客さんが組長か(組長にあえなければ幹部だけにでも)
会いに来たりするオフィシャル建物群がある
ディズニーシーだと思っていただければ…。

◆検索するとでてくる聚楽第想像図とか。
http://kichinosuke-kai-dog.blogspot.jp/2009/09/blog-post_7885.html
こちらのサイトの2009年9月17日のブログのまんなかあたりに
NHK「天地人」でCG復元した聚楽第があります。
これがなんとなく一番最初に聚楽第を想像するのにはわかりやすいような…。

http://inoues.net/club5/jyurakudai.html
ある屏風にかかれている聚楽第のイラストがわりと大きく載せて下さっているページ。

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Ocean/8342/jurakudai.html
こちらのサイトに聚楽第想像図のイラストがあります。

http://kyoto-brand.com/column-img/100525/100525_g007_zu2.jpg
・元サイトが、http://kyoto-brand.com/read_column.php?cid=5314
このページに掲載されている聚楽第の想像図。

みんなのなかの聚楽第がたくさんある電脳空間…。
私の聚楽第はなんとなくポップできらきらしたかんじです。

そういえば、シーみたいに池もあって、フロイスさんによると
木製の亀から噴水がでてたそうです。ご陽気ッスね…!
この木製の亀は↓のページにあるんですが、今は亀屋陸奧というお菓子屋さん
http://www.kameyamutsu.jp/corporate/kameyamutu.html)が持ってます。
絶対幸村も政宗もこの亀みてるんですよねえ。見たい。

幸村は秀吉さんの側近じゃないけど
側近に近いような立場だったらしいので
もしかしたら聚楽第のなかの
独身男たちはここで寝起きしてね、みたいな
逆大奥みたいなワンルームが並んだ建物に
住んでたかもしれないし、
一応、幸村の父親もこのころ京都にたまにいたりするので
聚楽第まわりの武家屋敷エリアにおうちがあって
そこから毎日か(よばれたときだけか、
よばれなくても行くシステムだったのか)何日か
聚楽第に通ってたんだと思います。

政宗は幸村と違ってお金持ちの家の人なので、
秀吉さんから土地をもらって、そこに自腹で屋敷をたてて、
そこから聚楽第に毎日か(同じく、よばれたときか、
なにか用事があるときだけか、秀吉さんその人に会えなくても
秀吉さんまわりの人に用があるときとか)何日か
通っていたと思います。

…というようなだてさな聚楽第ライフを
タイムマシンがあったら絶対みにいきたいと思っているのですが
あいにくSJが発明してくれないまま向こう側へいってしまったので、
しょうがないからgoogle mapで何度もみて、場所を特定して
現場にいって「ここを幸村も歩いたんだ!」とか
「あの山を幸村と政宗は絶対二人で見てる!」とかを
じんねり感じにいくという…とても説明しにくい地取りです。


堀川通り。
聚楽第までいく途中のメインストリートは
堀川通りというのですが、この道路がアルバカーキの
ハイウェイか!?というぐらい広くてびっくりしました。
東京にこんな道ない…。(実はあるのかな…あったらすみません)
幸村も政宗もこの道路みて驚いただろうなー…!

◆政宗の屋敷

聚楽第と政宗殿のおうちは近いよ!という説明図。

こちらのサイト(http://homepage2.nifty.com/kenkakusyoubai/juraku/yasiki2.htm)で政宗のおうちを特定してくださっていたので
足を運んでみました。

聚楽第から政宗屋敷にいくまでの間に
細い川があることを現場にいくまできづかなかった…!

ほそいかわ。堀川通り沿いにあるから「堀川」でいいんでしょうか…。

この細い川が当時もあったのかどうか謎なんですが、
かなり深い溝だったので、できれば昔からあってほしいなあ。
川があると、たとえば、橋をだれかがいたずらでこわしたとか
橋が流されたから今日は聚楽第いかないとか、
誰のお金でなおすのかとか、すべって馬が落ちたとか、
幸村がうっかりわらじ流して下流でひろってもらったとか
想像がつきない…!川はいい…!


赤い枠が政宗屋敷エリア。

政宗の屋敷エリアは器?かなにかの小さな美術館になっていて
なぜか長宗我部バレエ学園という建物もこのエリア内にあった…。あにき…!
長方形エリアをぐるっとまわってみたのですが(私の一歩で縦200歩、横75~80歩)
多分当時の感覚でも「狭いとこにおしこめられた感」が
あるんじゃないかなあと思いました。

政宗はこのとき1000人の部下つれて京都暮らしを開始してるので
このなかに1000人はきついだろう…と思うのです。
(あ、上屋敷・下屋敷的な風習が聚楽第時代からあるんだったら
政宗+側近グループとその他グループで分かれて住んでたのかも)
あと、政宗屋敷の正門か裏門にあたる道路(中立売通り)が、
車一台通れる程度の広さしかなくて細!と思いました。
全員が家に入るまで時間かかるだろうなあとか。

この中立売通りって、禁裏(天皇がいたところ)に
まっすぐつながる道路なので、もっと広いしっかりした通りかと
勝手に思いただけに、この細さがなおさら意外…。
そして、米沢では城主で国主で城をたてようがつぶそうが
自由だった政宗が、秀吉さんから
「ここに住みなさい&勝手に米沢に帰ったらだめだから」って
いわれて、隣近所の目や(見栄も)きにして生活するのって、
ものっすごく気の毒すぎる…!
政宗はこの土地みたとき、どう思ったのかなあー…やっぱり
秀吉に頭下げたってこういうことなのかって思ったのかなーとか
アニキバレエ学園の建物の前でぼんやりする夕方5時…。

さて、この政宗屋敷のエリアを特定している根拠なのですが
上記のサイトによると「尼崎から発見された屏風」によるのです。
なので、私はこの屏風を自分の目で確認しないと
このアニキバレエ学園とうつわかなにかの美術館があるこの長方形エリアが
政宗屋敷だと信じるのはまだあとにしようと思っているのですが
とりあえず地取り魂がうずうずったので来てしまいました。
今回の地取り旅で屏風をみにいけたらいい…!

で、聚楽第と政宗屋敷を確認したあと
「そうだ、帰らねば!」と我に返り、
ホテルまでの距離をはかったところ
歩ける距離じゃないな…!とやっときづきました。
京都に詳しい方しか伝わらないかもなんですが
河原町三条→堀川御池→堀川中立売。
これで1時間ちょっとだったんですが、
京都の方なら1時間ぐらい歩くのかな…。
私、いざ帰る段になって歩いた距離に呆然として
白旗あげる気分でタクシーかバスを探しました。

で、この日、夜あった友達に
今日はどこいってきたのかきかれて
結局「道路…」としか答えられなかった(笑)
でもいいのです。
私の脳内京都地図は完全に安土桃山フィルタ…!
じどりはいい…!