シゲと小早川さんの話。

31 7月

ノートの写真をどーんとのせるだけの荒療治ですみません…。
友達の質問についったーでこたえようとして、全然140字にできず、ノートみせたほうがはやいなこれと思いました。

■有名なエピソード
Q1:シゲはえらい美少年だったので小早川から一夜をともにしたいといわれたことがある。
A:本当です。ノートに貼ってある活字の部分がその逸話の根拠になってます。

Q2:一夜を共にしたいといわれてシゲやいやがって逃げたところ、シゲの上司である政宗から「いやがるな、一夜ぐらい許してやれ。世の中には上司の命令で親の首きるやつもいる」といわれたって本当?
A:本当です。政宗がそういう手紙を東福寺に逃げたシゲに送りました。上司からきた手紙は大事で捨てられない片倉家なので、そんな手紙も家史にのせる…。

Q3:結局シゲは小早川さんのとこにいったの?
A:政宗が使者二人もつかっておおごとにしているので、いかなかったらシゲになんらかの処分をあげなきゃいけなかっただろうから、いったんじゃないのかなあ。

Q4:なんで東福寺?
A:この質問に答えようとして、長くなりそうだ…とおもいました。
 ノートの下にかいてあります。

ところでこのエピソードで年齢をしらべると、シゲは19歳、小早川さんは20歳です。
しかも小早川さんはこの一夜の六ヶ月後に亡くなってます。
シゲの魔性伝説を勝手につくりたいよね!
「ぼくと関係をもった人は半年以内に死ぬんだ…」とかやまいがちなこといいだすキャラでもおもしろそう。
うちのシゲのキャラはどう描こうかなあ…。

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「なぜシゲは東福寺に逃げたの?」ですが、東福寺は伊達家に関係があるお寺なのです。
私も歴史じゃんるにきてからしりましたが、当時のお寺ってホテルであり、東福寺みたいに古文書がっつりもっているところは大学でもあり…。

どういう関係かというと、東福寺は政宗の大おじ(伊達晴宗の弟・大有康甫さん・職業はnot武士。職業は僧)が、東北(米沢です)から留学にきてた大学です。
16世紀の京都って、東北からみたら今のニューヨークみたいなとこなので、そんなとこに遊学させられる伊達家もすごいよね…。ただのお金持ち留学だよね。
同時に、京都以西の人からみたら、東北は「一生いくことない外国」で、和歌でよくきく地名だなあぐらいだったと思います。
東福寺の寮で一緒に勉強してる未来の僧ズのランクも、貧乏からお金持ちまでいろいろだったと思いますが、伊達家の大有さんは「東北からきた金持ち」の名をほしいままにしていたとしか思えない…。

 この大叔父・大有さんにはほかにもエピソードがあります。

政宗の師匠、虎哉さんは大有さんとほぼ同い年ですが、こっちは貧乏出身、ちょっと頭がいいというだけで近所のお寺にほうりこまれたものの、抜群のコミュニケーション能力で、あれよあれよというまに小学生の年齢で、有名どころの師匠(当時の知的スターだと思っていただければ…)と縁ができ、その師匠について甲府だのどこだのと日本を歩き回っていました。
こういう人は各地のお寺に寝泊まりして、そのお寺が持っている本を読ませてもらったり(コピー機がない時代って不便ですね)そこの高名な師に質問したりされたりして修行していくのです。
虎哉さんが京都にいたという記録はありませんが、当時の本や書物は京都に集まっているので、東福寺はもちろん押さえていただろうなあと推測してます。
「東北一のお金持ちで将来は実家に家たててもらう系の大有さん」と「旅好きでスターとつながりがあっていろんな話しってる虎哉さん」
東福寺でどっちも目立ってたとおもうんですけど…!

さて、虎哉さんは16歳から単独旅行を開始していたのですが、28歳のとき、米沢まで歩いていき東昌寺というところに行ったという記録があります。
東昌寺というのは、大有さんが実家の伊達家からたててもらった自分のお寺なのです。
そこに紹介状があろうとなかろうと米沢についたら、大有さんを直球で訪ねたということは、虎哉さんと大有さんって事前に面識あっただろうと思うんですよね。

ところが東昌寺で虎哉さんが「大有いるー?」と戸口をどんどんやったところ、大有さんは留守でした。
虎哉さんはその日泊まるとこがなくなってしまい…。
その腹いせなのか、「どーすんだよ!」なのか、「ま、しょーがないかー」なのかわかりませんがその気分をポエムにして、書いて戸口に貼って東昌寺をあとにしました。
驚いたのは、実家からごはん食べてかえってきた大有さんですよね…。戸口のポエムをみて「え、虎哉きてたの!?」ということになり、金持ち四男坊らしく、その晩中に村一帯に捜索隊をだして、あっさりそこらへんに猫みたいに寝てる虎哉さんを捕獲したという…。
同い年で京都で留学仲間でつもる話もあり、その日は楽しかっただろうなーと思います。

虎哉さんはしばらく(といっても数年単位です)大有さんの家を拠点に米沢をうろうろしたあと、また岐阜県にいってみたり、甲府にいってみたり、(甲府では信玄さんに会ったり、実はそこで1〜2歳の幸村に会ってみたりしてもおかしくなく)その後、41歳のときまた米沢の大有さんのところにやってきます。ほんと全国を旅する猫のようだわ…。
そこで大有さんから「実は虎哉がいない間に伊達家に嫡男(梵天丸)がうまれたんだが、その子の師に虎哉になってほしい。兄(政宗のおじいさん)からも頼まれてる。虎哉しかいない。一緒に米沢にすまないか!」っていうんですが、「えーそのこいくつ?4歳?そんな子になにおしえるってゆーんだか…」みたいにあっさり拒否られたあげく、「母が岐阜県で寝付いちゃっているので、東北に僕だけすむわけには…」という旅好きがなにをいうかみたいな返答をされ、虎哉さんは、また旅にでてしまうのです。

ところがその翌年、虎哉さんは正式に梵天丸の師匠になります。
お母さんの件がかたづいたのか、いいかげん40過ぎて一人で旅するのやめなさいとスター師匠(信玄さんのお葬式をだしたすばらしい師匠…)に諭されたのか、米沢で永久就職することが決定しました。
伊達家にお寺も(資福寺)たててもらい、梵天丸はこの時点で失明してしまっているのですが、その資福寺に小十郎やザネと一緒にとことこ毎日通ったのでした。

そんな理由で、虎哉さんは甲府にもいっていて、米沢にもいっているので、弁丸と梵天丸を両方みてるんですよね。
弁丸をみてるとしたら、1〜2歳のときと、永久就職する直前に甲府によったとして、5歳弁丸かなあと思います。
また、虎哉さんの旅好きは、実は永久就職してもなおらず、「(勉強しに)京都いく」と称して、京都をはさんで甲府だの美濃だのいろいろなとこによったりしながら、3〜5年単位でふらふらしています。
政宗も「虎哉和尚の出奔には慣れた」ぐらいのことは言うぐらい、少年時代から経験してたんじゃないかなあと思います。

…だいぶ話がずれましたが、こういう嘘のような本当のような境目がわからない話をする体質ですみません。
自分ではどこが盛ってあってどこが史実なのかわかっているので、文章を色分けしてもいいんですが、面倒なので全部まっかな嘘だということにしておいてください。
ただ、虎哉さんは猫説…!
私、たいばにとかいう大人アニメの浦原さんに似てるほうを虎哉さんとしてイメージしてます。