兄上の手紙箱:吉光御腰物箪笥。

8 11月

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真田信之(幸村の兄上)が大事にしてた箱、吉光御腰物箪笥(よしみつおんこしもののたんす or よしみつおんこしものだんす)。
箪笥といいつつ、無印ケースを木製にして黒々と漆コーティングしたものなのですが、中身は短刀(名前は吉光)、書状ズです。
この書状ズが普通の書状ではない。
信之が生きていた頃、罪人として扱われていた石田三成からきた書状に始まって、真田昌幸(父親だけど当時は罪人扱い)、幸村(完全に大迷惑な罪人…)が代筆した書状などが箱に入っています。

書状には、とっておいたほうがいい書状と、とっておかないほうがいい書状というものがあるのですが、保管すべき書状は「真田家にこの土地あげるよ!from武田のえらいひと」とかです。こういうのは火事でもない限り証拠になるので大事に保存する。とっておかないほうがいい書状というのは、「信之へ。メールみた。宿でまってる。from三成」(原文ほぼママ。こんなメモみたいな書状までとっておく兄上と三成のなかよし度なんなん)みたいな、罪人からの書状です。

 三成と仲良かった時期があったとしても、三成が罪人として処刑されて徳川が天下とった以上、三成のことや徳川家にがっぷりかみついた家族のことなどは、なかったことにして書状は焼くべきなのです。そうしないと「こんな書状を大事にとっているということは徳川家にそのうち反抗するつもりなのでは…?」というお家お取りつぶしの口実になっちゃう。

でも、兄上は捨てるどころか大事に箱をつくってそこにおさめ、しかも「この箱は大事」というカモフラージュのために、徳川家からもらったどうでもいい短刀を一緒にいれました。おかげで、この箱は徳川家からの短刀をいれる箱として明治時代まで、寝ずの番がついて守られ、真田家当主が江戸に参勤交代でいけば一緒にいき、江戸を離れて松代に帰ることになれば一緒についていくという、いわば兄上のしぶとく生き抜いた心のような箱なのです。
 (たまにジャンル柄、私が100%真実を語ってると思われる方がいるんですが、私はがっちがちに固めた証拠を並べながら適当なことを言う体質なので信じないで下さいね…!)

 さて、この箱は普段は長野県松代町(まつしろまち)の真田宝物館にあるのですが、常設物ではないようで、数年前私が行ったときはありませんでした。残念…。
 なにしろ兄上が触っていることは確実だし、たまには一人で開けて、父親や幸村の字を指でなぞったりしたのかなあとおもうと、もう言葉がないよね…。いっそ私が箱になりたい…!箱になって兄上は真田家のためにがんばったよ…!と言わせて下さいと思うぐらい、兄上によりそっていたものなので、チャンスがあるなら絶対に見たかったのです。
 その箱が千曲市の長野県立歴史館に出陳してるというので見てきました。
 図録ではまったくわからなかったことが、現物みて3つわかりました。
 1つめ。鍵穴がある…!2カ所鍵穴がありました。鍵穴を囲う金の浮き彫り装飾にちっちゃな六文銭があるのが、兄上の「これは真田家の宝」としてる気概を感じる。
 2つめ。取っ手がテープみたいなもので補強されてる。つまりそこしか持つとこがないんですが、よく持ち歩いてたんだろうなあと思います。
 3つめ。意外に大きい。でも意外に小さいという人もいたので、これは見た人の主観だなあと思います。

ところで、この展覧会には三成の書状も出陳されていました。
図録をみて、やけに三成の書状には「♡」がとびかってるなあと、釈文と見比べてみたら三成は「御」の字を「♡」に書いてるということがわかりました。
当時ハートという記号は日本に入ってきてないんですけど(私は政宗の家臣・支倉常長がヨーロッパから持ち帰ったトランプのハートが記号としては最初かなあと思ってるんですが、どうだろ)知らないにしては、かわいいことする官僚武将だなと思いました。

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 このネタのついーとが1000RTを越え、いまだに巡回しているのですが、見てくださった方のなかで、そっかー、書状は活字じゃなくて生文字をみたほうがその人となりがわかっておもしろいんだなーという、私が古文書にはまった第一の理由に気づいてくれる人がいたらいいなと思います。