名護屋城はひろすぎて。

14 11月

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ここに海を見渡す秀吉さんのお屋敷が建っていたんですが、想像できないよねえ…。

豊臣秀吉が朝鮮に無謀にもしかけた戦が幸村が26歳のときにありました。
佐賀県の唐津という海際に、秀吉、家康、政宗、幸村、ほかにも戦国武将といわれて名前があがる人は全員ここで町を作って暮らしていた時期があるのです。

幸村と政宗は1〜2年の九州滞在なんですが、今だって海に泊まりがけでいくって、開放的気分になる夏休み!というかんじなのに、当時は戦目的とはいえ、屋敷も建て庭も調え能舞台もつくるという、家臣ひきつれた巨大別荘地。どう考えても政宗と幸村がきゃっきゃいってたとしか思えない…いくしかない…。

さて、行ってみたところ広すぎる+規模が尋常じゃない大きさで、どうやって暮らしていたのかという実感がつかみづらかったです。
佐賀県立名護屋城博物館(https://www.pref.saga.lg.jp/web/nagoya.html)無料のここで、ジオラマをみて当時の建物の雰囲気を頭にいれてから、秀吉がいたメインの名護屋城跡地(100円)を二日にわたってみたのですが、広すぎてよくわからない。
幸村達は名護屋城には住んでいなくて、名護屋城まわりの土地を割り当てられて屋敷をたてていたので(陣跡・じんせきといいます)その跡地をみにいったのですが、実感しづらい。
結局また春にこようという結論にいたって帰ってきました。

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陣跡のひとつ。堀さんの陣跡

堀さんは山の上に住んでいました。山の上のゴルフ場みたいなとこで、どうやって建物の材木を運んで、水や食料を確保して生活していたのか…。
想像力を鍛えるためにもっと勉強してからこないとだめだなあと思う。

さて、陣跡は「真田家はここにあった」とはっきりわかっていません。割り当てを書いた書類はないですし、当時の状況を後世の人が描いた屏風はありますが、その屏風は20近くあり、屏風を描くにあたり元にした絵は5〜6種もある。
6〜7年いた人は唐津内で何度も引っ越しているし、2年いただけの真田家なのに、陣跡候補地は5カ所も説があります。

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真田昌幸の陣跡のひとつ。
城や屋敷が復元されていないので、小山だなあとしか思えないですよね。これに屋敷がたってたんだってどうやって想像したらいいのかな。

また陣跡候補の一つに、地元のひとが「サナダサエモンサマ」と呼んでいる石を置いた石垣跡がありそこが幸村の陣なのでは?という論文を読みました。
この論文に説明図はあってもそこにプライバシー保護のためか住所がかいてないので、今回すぐには特定できなかったんですが、帰宅後、よく検討したらなんとなく場所がわかったので春にいってみようと思っています。

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地取りは宝探しだなあ…!
車必須で、陣跡周辺は、電気がいっさいないのでお昼間のみしか行動できませんが。