その刀、燭台切につき。ー政宗と水戸黄門を結んだ刀ー

10 5月

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刀剣乱舞というネットゲームから、政宗が「燭台切光忠(しょくだいきりみつただ)」という刀を持っていたということを知りました。
政宗副担としてはいてもたっても。
あいにく刀に興味はなく、あいかわらずの資料好きなのですが、うちの燭台切はカンスト、現在二人目が特越え…。いつもクールに桜ふぶいてて、かっこいいよね!

以下、調べたことの覚えがきです。長いので、これ本(=漫画)向きかな。

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Q:「燭台切」という言葉が確認される文献はどれ?
「武庫刀纂」(ぶことうさん)という刀アルバムです。
原本は茨城県水戸市の徳川ミュージアムにあります。
「武庫刀纂」は、水戸藩8代藩主斉脩が水戸徳川家伝来の刀剣について後世に伝えるため編纂し文政6年(1823)に絵師に描かせた書です。(展示キャプションより)

Q:その本、信用できるの?
本は信用できますが、中身は伝聞なのでどうだろ?
この本は、政宗が死んだあと約180年たってから、水戸藩が自藩にある刀の整理をしたときに、刀ごとに絵をかきメモをつけた本です。
180年も前の話として「水戸藩に燭台切がきたのはこういういわれときいている」とかいてあるだけなので裏がとれませんが、刀が伊達家から水戸徳川家にいったのは信じていいと思います。
ちなみに私の持っている政宗側の資料/史料に「燭台切」という言葉はでてきませんでした。でてくる本あったら教えてください〜。

Q:文章の内容は?
【エピソード】うちの先祖の水戸黄門さまは、子供のとき、政宗から<燭台切>という刀を強引にもらいましたとさ。これがその刀です。

【サイズ】長さや反りが漢数字でかいてありました。刀の長さは机の高さより少し低いくらいで、ほぼ反ってない。

【イラスト】本のサイズはA4大。刀をまるっと1本をかいているわけではなかったです。(紙の節約とおもわれ…)
1ページに、刀を三等分した輪郭をかき、波紋部分は、刀に墨などをぬって、紙に刀を圧しあてる方法でうつしとってました。

【エピソード原文】
徳川ミュージアムのケース内には、筆文字部分の写真と、筆文字部分を活字化した紙がありました。

◆まず「古文書あるある」の話を。
1)筆文字部分を博物館の方が活字化したときに間違っている字がありました。(2015.5.8時点)
2)筆文字をかいた約180年前の人が間違えてる漢字がありました。
3)私がうつしまちがえてる+ブログで入力しまちがえてる可能性ももちろんある。

「間違いみつけた〜えへへ」というわけではなく、こういうミスは全部古文書あるあるなのです。
博物館の職員や学芸員の多くは文字の専門ではなく、担当ジャンルのプロだし、水戸藩の刀リストの絵はともかく、文字を書くのは重要職とはおもえないし、間違ったといっても「ああ、この字と間違えたんだな」と想像がつく範囲なので、間違ってて全然OK!
でも、これがあるあるだってわかるまで、私は博物館の古文書のキャプションは100%正しいと思っていたのです。

ちょっと話ずれますが、そんなわけで私は一人で「ノーモアうつしまちがい」キャンペーン中。
国内のすべての古文書は世界文化遺産予定の「東寺百合文書(とうじひゃくごうもんじょ)WEB」のように、文書写真をフリーでネット公開して、せめて私達世代からはうつし間違い活字を減らしていったらいいよね!というものです。へえ〜と思った方は、博物館いったら「展示されてる古文書の写真ってHPで公開される予定ありますか?」ってきくだけでも、こういう需要が世の中にあるって伝わるとおもうよ……!以上、余談でした。

【漢文】

傳云仙台侯政宗近侍之臣有罪隠于褐銅燈架之陰政宗乃斬之燈架倶落故名之曰燭台斫燭台之燈架之俗称也

義公嘗臨于政宗第政宗持此刀語其由終乃置之坐右 公将帰請是刀政宗愛之不與公乃強持之去云

目がすべるよね…。私も3〜4年前なら文字化けきた!って思ってました(笑)

(2015/05/11追記:10日までに掲載していた漢文から3字(興→與)(云々→去云)修正しました。軽傷ですんだかなあ。私のうつし間違い漢文を手入れしてくれたのいまご先輩、ありがとうございます!)

漢文は区切りがないのでそのままかきました。句読点もない時代…。
平出(へいしゅつ)と闕字(けつじ)はあったので、それは反映させてます。
平出:敬意を表する言葉の前で改行すること。この場合「義公」。←水戸黄門のこと。
闕字:敬意を表する言葉の前を1字あけること。この場合「公」。←水戸黄門のこと。
おもしろいよね…!こういう日本のリスペクト表現…!

また、最後の文字と最後から2番目の文字は、私は、「去云」とメモったんですが、文章の内容が伝聞なので「云々(うんぬんと読みます)」が自然だろうと、みずたま先生が教えてくれたので、上記どおりにしてあります。
↑結局「去云」でよかろうということになったのです!やったー!水戸でやれることはやってきたよ!というわけで、文字ズをグレー記載にしておきます。(2015.5.11追記)

【訓読】
私が最初にみずたま先生に提出した、間違った訓読をさらします(笑)

伝えていう。仙台候政宗の近侍の臣(しん)、罪あり。褐銅(かつどう?)の燈架の陰に隠れる。政宗すなわちこれを斬り燈架ともに落つ。ゆえにこれの名いわく燭台切。燭台これ燈火の俗称なり。

義公これを政宗邸で嘗臨(しょうりん?)す。政宗この刀を持ちその由(よし)を語る。おわってすなわちこれをざゆうに置く。公まさにこの刀を請け帰るが、政宗これを愛し不與。公これを強くこれをもちさるという。

みずたま先生の訓読:

伝(でん)に云わく、仙台侯政宗近侍の臣罪ありて、褐銅の灯架の陰に隠る。政宗乃(すなわ)ちこれを斬り、灯架と倶(とも)に落とす。故(ゆえ)にこれを名づけて「燭台斬」と曰う。「燭台」これ灯架の俗称なり。
義公嘗(かつ)て政宗第に臨む。政宗この刀を持ちてその由を語り、終わりて乃ちこれを坐右に置く。公将(まさ)に帰らんとし、この刀を請う。政宗これを愛し不與。公これを強いてこれを持ちて去ると云々。

みずたま先生、あ、ありがとうございます〜!みてないだろうけど…。

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みずたま先生は、うちのコミックスでもお世話になってて、私が毎週通ってる古文書学校の先生で、T大史料編纂所の歩くくずし字辞典といわれてる先生なのです。この先生、私より数歳上なだけなんだよ…ほんとびっくりする…!

そして、私は訓読で「嘗臨(しょうりん?)す」って読んだのに、実は「嘗(かつ)て」だったってわかって笑っちゃいました。
私は、水戸黄門くんが「なめまわすように刀を見るために政宗屋敷にのぞんだ」のかと思ってた(笑)「かつて」ってよむんですねえ、これ。どうりでgoogle検索ででてこなかったはずだわ…。
あと、政宗第って「まさむねだい」ではなくて「まさむねてい」であってます。聚楽第(じゅらくてい)と一緒!
当時は、音が一緒なら適当な文字あてるのが普通でね。伊達藩の人が「政宗」を「正宗」ってかいてて、「無礼なり!」と心の底から驚いていた時期が私にもありました…。今は慣れちゃった…。

【現代語訳】

この刀について伝わっている話は、仙台藩主伊達政宗の近臣が罪を犯し、褐色銅製の燈架の後ろに隠れたところ、政宗が近臣を斬り、はずみで燈架も同時に斬れたとのことです。そのためこの刀は「燭台切」と名がつきました。燭台とは燈架の異名です。

 光圀公はこの刀を政宗邸に見に行きました。そして、政宗がこの刀を手に持って逸話を語り終え、傍らに置いたところ、光圀公は刀をもらって帰ろうとしました。政宗はこの刀がお気に入りだったので譲れませんといいましたが、光圀公は強くほしいといいはって持ち去ってしまったということです。

現代語訳は、みずたま先生から花丸ではないけど、おおよそOKといわれたので嬉しかったー!現代語訳にするの大好きなのです。

(2015.5.11追記:10日まで「政宗はこの刀がお気に入りだったので気を悪くしましたが」になっていましたが、漢文に「不興」が「不與」になるという公式メンテが入ったので「お気に入りだったので譲れませんといいましたが」にかえましたよ〜。ここしかかわってないので現代語訳はこれでおおよそOK。きまった…かな!)

Q:燭台切が政宗から光圀にわたされたのはいつ?
・場所は政宗の江戸屋敷
・時期は、以下のどっちかです。お好みで!
 A:1634年春(3月末〜5月末)政宗68歳:千代松7歳
 B:1634年秋〜翌年春(9月あたま〜1635年6月末)政宗68〜69歳:千代松7〜8歳

政宗の年譜と光圀の年譜(anさんありがとー!)でクロスして考えてみました。

Q:政宗が燭台と家臣を切ったのはいつ?
この文章からはわかんないんですよねえ。
私はただの直感で政宗が20代後半〜30歳のときの、京都伏見時代だろうと思ってます。いつものあたらない直感で。

Q:燭台切って伊達家の家宝なの?
燭台切という言葉が政宗側の資料にでてこないので、文章にあるとおり「one of まいふぇいばりっつす」だったんだろうと思います。
政宗に限らずセレブ大名は、掃いて捨てるほど刀もってます…。贈答用に。

Q:「『燭台』これ灯架の俗称なり。」ってなんでわざわざいってるの?
私もこの一文がきになったー。
なんでなんだろ。燭台が、今でいう3Dプリンタか、ルンバクラスの高級家電だったとか?
「燭台切光忠」じゃなくて「ルンバ切り光忠」(笑)
政宗が生きてる時代の蝋燭は高級品で、燭台もってるのはそれこそ金持ち大名か商人か寺院。
でも、時代がくだれば蝋燭だって庶民のもの。この本を書いた人は政宗死亡後180年もたっているのに、「燭台」という言葉をしらなかったのかな。あ、水戸では「燭台」とはいわないとか?
それか、水戸黄門くんはそのとき初めて「ショクダイ」って言葉をきいて、政宗に「ショクダイ?」ってきいたら「灯架の別名ですよ」っておしえてもらったとか?それはそれでかわいいな!
だって、「ルンバ?」ってきいて「ああ、自動清掃機の代表名ですよ」って会話があったのなら、わざわざこの一文をいれたことが理解できるもの。
「僕はルンバ切り光忠。アマゾンで39800円のルンバだってきれるんだよ」
だ、大丈夫、かっこいいよ…!
そんな高価なものを惜しげもなく切れる政宗が私は大好きです。
どんな燭台かは、「銅製」「燭台」「桃山時代」とかでイメージ検索するとでてきますよ〜。

Q:政宗が近臣を斬った理由は?
なんでしょう。状況的に手討ちなので、切腹ではすまないレベルの罪だったんでしょうが……。
とはいえ、政宗はなちゅらるぼーん殿様なので、ツイッター感覚で手討ちをやってます。時代ですね…!

Q:銅って刀できれるの?
私もそこが謎だったのでyoutube様にきいてみました。
「日本刀」「鉄をきる」という動画があり、バットをふりまわす円運動でたたっきるかんじでいけばいけるようです。
銅は鉄よりは柔らかそうだし!
でも、すごい腕力だったんですね、政宗…。うう、かっこいいよー…。ごめん、斬られちゃった人…。

Q:ネットに流れてる「燭台切の話」のエピソードって本当に燭台斬りの話なんでしょうか?
たしかにネットに流れてますね。
きになったので調べましたが、私は、この刀は、同じ光忠作だけど別の刀、脇差だと思います。

◆「成実記(しげざねき)」(仙台叢書第3巻 p.296)の相当箇所。
ざね

「忠光の脇差」とあり、次の行では「御腰物」になっています。
光忠ではなく忠光になってるのは、単純な活字おきまちがえだとおもうなー。

◆「政宗記」(仙台叢書第11巻 p.140)の相当箇所。
まさむねき

「脇差」表記はなく「光忠の御腰物」になってます。

どっちが本当なの!といいたくなりますよね(笑)
でも、史料(これ、全然資料レベルだけど)ってこんなものなんですよね…。
「成実記」と「政宗記」はタイトルが違うだけで、内容はほぼ同じ本です。
成実(政宗の従兄弟)がメモ書きで残しておいたものを(今はこのメモ書きはない)、誰かが「これいいわあ」と思ったとこだけ抜き書きしたり、それを「これいいじゃん!」とコピペしたり、「まとめたい!」という人がまとめなおしたりして、いろんな本がでてます。著作権フリー時代(笑)
ともあれ、そのうちの2つが「成実記」と「政宗記」です。成立は「成実記」のほうが古いそうですが、ざねっちの筆文字のメモがない以上、古いからといってどこまで信用おいていいんだろう。手に入る限りの資料をみくらべて、状況証拠を探して、自分なりに納得するのが答えになるんじゃないかなあと思います。また新発見があったり、新しいこと教えてもらえたりして、答えがかわるのもいいしね!

私の今のところの考えとしては、光忠ブランドの刀は何本もあるので、これが燭台切である可能性は低い派です。
「成実記」で「脇差」となっているし、秀吉はいろんな人に刀類をプレゼントする人ですが、そのときにぽんぽん脇差をあげているので(幸村もおかし感覚で脇差もらってたね…)これは光忠作の脇差なんじゃないかと思ってます。
え、ということは、燭台切光忠って刀と脇差の兄弟として政宗のとこにいたという解釈もできるんだ。
いつもお互いに、ちょっと髪をなおしあってる兄弟(笑)
とはいえ、史料はネタのフリー素材集。ご随意に…!

最後に徳川ミュージアムのホームページ。
行き方調べるために開いた「アクセス」とかのページに一面に広がるあの文字化けは、いったい…。
お客が迷子になるように、忍びが作ったとしか思えないよね……!

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ふろく。力がみなぎるね!(2015/05/11追記)
のいまご先輩がリンクしてくれた、近代デジタルライブラリー「罹災美術品目録」の燭台切の漢文が載ってるページ。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1215483/115