「斬劇 戦国BASARA皇4 本能寺の変」をみたので。

2 7月

(ネタバレありです)
「斬劇舞台戦国BASARA皇4本能寺の変」(長い!以下「斬劇BSR」)を観た。

 私は2009年の初演から「舞台戦国BASARAシリーズ」毎公演観劇している古株で、ゲームプレイヤーでもある。舞台戦国BASARAの初演はがらがらであった。2011年にチケットがとれない2.5次元舞台の筆頭として名が挙がるようになり、2015年からは空席が目立つ舞台となった。 しかし、「斬劇BSR」は転換点となるだろう。客の増加が見込めると期待する。おもしろいからだ。

 2.5次元舞台の客層は2つにわかれる。ゲームなどの原作を100%知ったうえで観劇にくる「プレイヤー兼観劇者」と、「キャスト観覧者」だ。キャストを観にくる客も二つにわかれ、キャストの演技を観たいため、原作知識をかろうじて入れてから観る客と、原作は知らずキャストの姿を観に来る客がいる。
 私はBSR以外の観劇は、ほぼほぼキャスト目的の観覧である。舞台をみれば話がわかるだろうと信じ、キャストの顔や動いている姿を見たいと思っている。「斬劇BSR」はこの舞台を画期として、このようなキャスト観覧者の満足度を高めたと思う。

  プレイヤー兼観劇者は、初期は多勢を占めていた。しかし、キャストの再現度があがり、いい役者が増えてきた証に、だんだんと客席にはキャスト観覧者が増えてきた。舞台公演を続けていくうえで、明るい要素だ。なにしろ「斬劇BSR」では、政宗が六爪をふるうことはもはや当然となっている。初期は、人間が自ら刀を6本腰から抜き、指のみで刀を3本ずつ支えることはできないと考えてられていた。また、佐助がエレベーターほどの狭さの板場で飛び、回転するのは目を疑う。このようにキャストの再現具合や殺陣は格段にレベルアップしていて、自分のPS3に入ってくれたなら、全員LV.MAXになると思うほどだ。

「斬劇BSR」で大きな変化があったのは、このようなキャラクターの外見の再現ではなく、キャラクターの中身やストーリーに一歩踏み込み、ゲームでは絶対に見ることのできない展開と技をおしだしたことだ。
  例をあげれば、政宗が幸村の武器を手に持つといった行動は、ゲームではありえない。ゲーム内では、凜と強き女武将として描かれる孫市は、決してそれだけではない顔をみせる。意外な展開が続くが、その意外の度合いが、脈絡がなく飛んだ感覚は否めない。だが、それはプレイヤー兼観劇者が抱く感想だ。キャスト観覧者はそうは感じず、新しいエンターテイメント作品だと受け止めたと思う。初回公演終了後のリピーター券販売の列を見て古参はそう感じた。

 私たちはエンターテイメントを求めて、ディズニーランドにいく。ディズニーのアトラクションの原作や作家名を知らずとも問題はない。「シンデレラ」のペロー、「クマのプーさん」のA.A.ミルン、ストーリーがわからなくても楽しめる。開放感と非日常性に浸れるように、ディズニーランドは工夫している。
 「斬劇BSR」 は、そのようなエンターテイメント化に舵を切ったのだと思わせる内容だった。そこに、長年観てきた観覧者としての違和感や悲しみを覚えないわけではない。

 私は、観劇中に試みに彼らから鎧をとり、学生服を着せて台詞をきいてみた。違和感がない。高校生が学内の異分子や教員と戦っているストーリーとかわりがない。
  ゲームの武将にはそれぞれ己の中で一とするものがある。政宗ならば奥州の民、孫市ならば自族の誇りといった、武将らしい「譲れないもの」である。
 では、その設定をすべてゼロにしてみよう。するとゲームをしらなくても客が楽しめる話が描けるようになる。人間の自然な心理、「友人が困っていたら助ける」「恋愛感情」「人質になるつらさ」など、わかりやすい状況が、「斬劇BSR」では描かれる。キャスト観覧目的の客を満足させるには充分であり、リピーター券を買う列ができていたのもうなずける。

 一方、古顔の観劇者の中には、今回のストーリーに「公式に裏切られた」といった感想を持つ人もいるだろう。あのキャラクターは決してこのような行動をとらないという長年の信頼や愛着感があった。それが思い込みであったと公式からきづかされたからだ。
 ディズニーランドでは、原作にある残虐さや孤独といった面は描かれない。一時的な開放感と、次回来園の意欲を傷つけるものでしかない。
 2.5次元舞台もエンターテイメントである。採算の帳尻を合わせる以上、原作を知らなくとも客が楽しめる舞台を今後も作らなければならない。「斬劇BSR」はその客をとりこむために、いったんすべてを崩してから作られたのだろう。その目論見は成功してほしいと観劇7年目の、プレイヤー兼一チケット購買客として思う。

 いままでも、舞台作品のストーリーに納得できる部分が少なくなり、舞台を観なくなったった人はいた。舞台を見続けながらも、ゲームと舞台は別作品であり、舞台は舞台と割り切って観てきた人も多いと思う。それでも、ゲームを知らずに舞台を観に来た人に、舞台をみたあとゲームをやると「戦国BASARA」はもっとおもしろいよということができた。舞台で、武将が武将として描かれていたからだ。
 しかし、今回の「斬劇BSR」 はどうだろう。キャラクターの行動が一般の人間と同じようになり、わかりやすくなってしまった。そこにキャラクターが武将として持っていたアイデンティティはなくなった。同じ衣装を着た別人ともいえる。だが、初めて見る人には、おもしろい内容であり、わかりやすい話であることも事実だ。(登場キャストの数が多いため筋が複雑なのはさておき、そして最終のエピソード回収もさておき)

 唯一ほっとしているキャラクターは、幸村の描き方である。ゲームの行動と舞台の役どころが一致していた。また、政宗役のキャストが数段飛びで成長していた。伸びしろが感じられる役者はいい。カーテンコールで、カンパニーにも心許した仕草を自然にみせていたところに安堵した。さらに、佐助は今このときしか観ることのできない、旬の当たり役である。
 次回作はあると期待している。次は脚本の腕の見せ所だろう。舞台を楽しんだあと、キャスト目当てできた客に、ゲームのソフトウェアを買って帰りたいと思わせたら、しめたものである。