おとしだまがわりにあげるもの。

16 1月

子供がいる友達の一人に一年ぶりに会ってきました。
去年その子供に会ったときは、そんなにしゃべってなかったんだけど、今年は「じじばばすわる」といったように、現在形だけど主語と動詞がある文章をしゃべってて、言語習得の最初のころって助詞や過去形がないんだ!と驚きました。子供の言語発達おもしろい。

・子供はそんなに好きじゃなかったけど、好きに傾いた理由。
子供が好きな女性は多いのですが、(幼児教育のたまごぐらいの男性研究者は、昨今うかつに「子供が好き」と言えずつらいらしい(笑))私は二十代前半ぐらいまで、子供みてもなんともおもわないほうでした。嫌いというわけではなかったんですが、好きではなかった。
一番大きな理由は、こわかったのです。自分の無意識の行動が、子供に変な影響を落とすこともあるだろうなーということが。子供っていろんなこと吸収して予測不能な行動とるものね…。そこにいっさい責任をもてないし、もちたくなかったので、とにかくかかわりあいたくなかったわー。今思えば、結局、自分がまだ子供側にいたからなんだろうなって思う。

その後、短時間なら子供の相手をするっておもしろいと気づいた経験がありました。

・子供は鏡の自分の姿には反応しないけど、デジカメ内の動く母親はわかるらしい。
NYに旅行にいったとき、同行の友達が現地の子持ち友達に会うというので、3人+子供でごはんを食べに行ったのです。
その子供の行動がおもしろかった。何歳かわからないけど壁伝い年齢で、鏡にうつってる自分の姿は目に入ってなかった…。子供ってそんなかんじなん?そこに「え、なんで?」と思ったんでした。
レストランで、友達とその現地友達が久闊を叙しトークしている傍ら、私は子供にいろいろ試していました。
デジカメ経由で母親の動いてる姿をみせたんですが、カメラにうつっている母親は認識できるらしいのです。すぐ集中力とぎれちゃうけど。だから、母親としてみていたのか「ほら、ママだよー」といってみせているから見ていたのかわからないんですが、そんな行動を観察していたら、「子供っておもしろい」というふうに考え方がかわっていきました。
そのときまで、子供というものは、上記のとおりこっちが責任がもてないので避けていたのもあるのですが、そもそも「話してもおもしろくない」存在だと思ってました。
子供と話しても時間の無駄だろうし、子供は意味のある会話なんてしないと、一段下げてみてたんだろうなあと思います。
ところが子供に対しては、自分が観察者の位置にたつだけで、こんなに私の好奇心を満たしてくれる存在だったのか…!と、そこではじめてきづきました。子供っておもしろいわー。

そんな経験があってから、友達の子供とかに会う機会があれば、会ってみたいと思うようになりました。

・「男の子ですか、女の子ですか」のコイントスで賭けるなら。
上記どおりの子供接し度の子供好きなんですが、友達からきいた話(今回会いに行った友達ではないですが)で「これはなにかで使える…!」と思ったネタがひとつ。
他人の赤ちゃんを町とかでみて、性別が服の色などでわからないとき、「男の子ですか、女の子ですか」ときくようなシーンで。
「男の子ですか?」というのは危険(笑)なんだそうです。
なぜなら、「女の子にまちがわれる男の子」は全然OKなんですが、「男の子にまちがわれる女の子」というのは、微妙な空気になるからだそうです。
あーなんか、わかるわー…ていうか、ネタにつかいたいと思いました。
みんながしっちゃうとネタになりにくいけど(笑)
私は、他人の赤ちゃんには近寄らないので、きくことはまずないんですが、親の心理って揺れまくってるんだなーと思いました。

・おとしだまがわりに本をあげるよ!
親戚が正月に集まるということがない一族なので、おとしだまを誰かにあげた経験がないのです。
ですが、友達の出産祝いや、お正月ごろに遊びにいく子有り友達の家には、おとしだまじゃなくて、本を子供一人につき2冊持って行くことにしています。

一応確認なんだけど、おとしだまをあげるかあげないかって大人の自由だよね……?(笑)
そんなわけで、どんな本をあげるかは、あげる側の特権だろうとおもって、私の好みで決めています。絵本だったり英語だったり図鑑だったり、あと数年しないと読めそうもなかったりする本とか。
親にこういう本を渡したいんだけどいいかなーといってから、子供の手にいくようにしてもらっているので、たまに既に親が持っている本だったりしたこともあった。(今回あげた「がまくんとかえるくん」もそうだったっぽい。ごめーん!(笑))けど、それならブックオフできるのが本のいいところだとおもう。親が「これは子供にはやだな」とおもえば、私が帰ってからブックオフしてくれればいいし。

2冊にしてるのは、どっちか1冊は子供の好みにあうんじゃないかな?という勝手な大人ごころなのです。で、図書カードをあげるのは、私の趣味を押しつけるという主旨がかわるので(笑)かたくなに本をあげつづける妙な大人になってる気がする。
でも、やってることは、あの年齢ならこういう本かなーとか、こういう本が家にあって、タイトルだけでも目にはいってたらいいと思うんだけどな、というゆるやかな間接観察っぽいなあ。
フロムの「愛するということ」とか、絶対にあげたいけどねえ。「古代への情熱」もいいよねー。「人類の星の時間」は外せない…!

とはいえ、今回、友達の家には、たまたまインテついでにリュックサックで訪れたので、高野山→インテ→方広寺→友達の家と、絵本とともに旅をしました。ずっしりの図鑑じゃなくてよかったわー。