ある本の読書めも。

12 2月

読書メモ(読み終えるための自分への発破にブログを使ってすみません。飽きたら多分、ログは消してまとめ記事にするかも。英語がすらすらよめたらなー。タイトルは読み終えられたら書きます)

この本は全部で15章、ネイティブの平均読書時間は4時間半だそうです。私、何倍かかるんだろ。二千円払ったもとはとりたい(笑)

【更新メモ】
2017/02/01: chapter9の途中までを追記。
2017/02/12:chapter9の終わりまで読んだ。

↓本文

Chapter 1
うまれ育ったオハイオを愛していること。貧しく親戚は全員暴力的、両親も家庭的ではなかった。
この本では、生まれた環境は子供の将来に大きな影響を与えるものだということをいいたい。
Chapter 2
祖母の話。
母は自分をよく祖母に預けていた。祖母は14歳で妊娠したため、ケンタッキー州の故郷から逃げるようにオハイオ州に17歳の男(祖父)と移住。祖母は高校にいってない。性格が粗暴。夫婦揃って暴力的。
自分の子供が店員から注意されると、逆上して店内のものを手当たり次第に店員に投げつけた。店員があやまると何事もなかったかのように行動した。…という話をその子供だった叔父からきい。叔父は子供心に変な親だと思っていた。
祖母が一番好きなものは子供。嫌いなものは子供を可愛がらない人。自分の子供が注意された=自分の子供に不快な思いをさせたという理由でキレる。子供はぶたない主義。
オハイオ州では、外部から移住してきた人は差別はされないが区別される。
Chapter 3
母の育った環境の話。
祖父は酒飲みに。祖母とものを投げ合うけんか。家は掃除されたことがない。祖母は、酔って帰宅した祖父にガソリンをかけ火をつけたことがある。(11歳だった長女が火を消した)
長男(叔父)は18ですぐに家をでた。長女(叔母)は中学校にいかなくなった。長女は喧嘩をみるのがいやで、家では地下で暮らしていたことも。長女は結婚して家を出たが、監禁するような旦那だったのですぐに離婚。
次女(母)は18で妊娠出産、19で作者を出産したが、旦那と結婚生活は無理と判断して離婚。シングルマザーに。
祖父は突然酒を辞めておとなしくなり、祖母と離婚。今は別居しつつもたまにあう。叔父はジョンソン&ジョンソンの営業になった。一家では唯一の「キャリア」持ち。叔母も30歳近いときにまともな人と結婚し現在も離婚していない。
Chapter 4
作家自身の話。小学生時代。
育った町はarmcoというスチール会社にみな勤めている。祖父の時代までは儲かっていて祖父は年金暮らしができている。現在armcoはあるが儲かっていないため、町は家主の収入によって分断されている。公園や学校などはふるく、モールは閉まりドラッグの取引所となっている。
高校の20%はドロップアウトする。大学にいく人はほぼいない。
それでも若者の多くはarmcoに勤めるつもりで高校を出る。
白人のブルーワーカーは働かない人が多い。あまりに多いので子供にはそれが普通の大人にみえる。
祖父はarmcoのエンジニアだった。大勢を占める溶接員ではない。祖父は、今は自分の時代と違うので、手ではなく頭で食べていけ=大学にいけといった。
一家で大学にいったものは一人もいない。
祖父は家で算数を教えてくれ、祖母は作者が字を読めない時期から図書館カードを作ってくれた。
Chapter 5
小学生になるかならないころ、遺伝上の父親と母が離婚。母と姉と新しい父と4人で祖母の家の近くで暮らすことになった。母にとって三回目の結婚。
母はナースで、新しい父はトラック運転手。
母は作者の勉強をよくみてくれた。本を読み終わって、新しいのを読みたいというと嬉しそうな顔をするのをみるのが嬉しかった。
小学校3-4年のころ、父母が祖父母の干渉を嫌い、もうすこし都会っぽいとこに引っ越したので転校。
父母は引越し先で喧嘩するようになり、暴力もあり、母は子供だけモーテルに逃がすこともあった。父から殴られたことはない。
喧嘩が原因で学校の成績がさがり、太り、家にいたくない、祖母の家に住みたいと思う日が続いた。
両親のけんかはケンタッキーや自分の周囲では珍しくなく、祖母の裏の家からもよくきこえていた。
ある叔母と結婚した男性一家は、公共の場で大声を出さない一家だった。
子供心にそういう人間が信じられなくて「嘘つき」と思っていて、祖母は冗談まじりに「聖人だから」といい、叔母の一人は「変人」といっていた。
一家やケンタッキー州、オハイオ州の人間にとって公共の場で大声を出すというのはそれだけ自然なことだった。
父母が離婚し、母と姉と自分の三人暮らしになった。母は数ヶ月でつきあう人をかえるようになった。
母はささいなことで怒るようになり、酒も飲むようになり、作者が小学生5年のころには、口をきかなくなったりしていた。
ある日、車を母が運転し、作者がのっていたとき母が作者のなにかの言葉で怒り出し、アクセルをふみこんで、一緒に死ぬといいだした。作者は車からおり、近所の家にかけこみ、母に殺されそうですと訴えた。近所の人が通報、追いかけてきた母親は逮捕。
作者は祖父母と暮らすことになり、母を牢屋にいれたくないという理由で、殺されそうになってはいないと嘘をついた。
母とは今後会わなくてよくなった。
その家庭裁判所で、一家と判事が話し合うので作者も参加。そこで、判事らはTVできくようなアクセントで話し、スーツをきているが、一家は全員スウェットかTシャツであることにきづく。
小学校5年のとき親戚のいるカリフォルニアに飛行機でいった。ケンタッキーの発音だと、いろんな人からいわれた。

Chapter 7

祖父の死。

作者が11歳のとき、祖父は自宅で死亡しているのが発見された。

祖父の死をきっかけに母親は薬物中毒になり、勤務先の病院で盗みを働いたため退職させられた。ある日母親自宅でリストカット。中毒をなおすセンターに数ヶ月入っていた。

高校生の姉と作者は二人で暮らしていた。たまに祖母が様子を見にきてくれていた。

Chapter 8

作者が高校生のころ、姉は結婚出産し、祖母家近くに旦那とすみはじめた。母は消防士とつきあいはじめ、引越しをすることになったので転校することに。作者が拒否をしたら母親はカウンセリングにつれていった。作者は母親がまた捕まらないように、うまく事実を話したうえで、実の父親と住みたいといった。実の父親の家で数週間くらしたが(けんかも大声もなくおだやかだったが)、いいこにしていないとだめで、厳格なキリスト教の家なのでロックもだめだったので、姉に迎えに来てもらった。

母は勤務先の医者と結婚することになり、作者は一緒に住むが、この医者はマリファナを温室で育てていた。暴力が始まったので母と作者は家を出た。

作者は高校にはほぼいっていない。宿題もしていない。成績もよくない。いき場所がないと感じていた。

Chapter9

母と新しい父親と暮らし始めた。いやだった。クリスマスに祖母に電話をかけて、祖母の家がいいなとなつかしかった。

高校は転校しなかったので友人や祖母に会えた。祖母は作者に期待していて、一族でなにかなしとげる人がいるならそれは彼(作者)だといつも言っていた。医者か弁護士か、具体性はなかったが。そのころの自分は高校をドロップアウト寸前だった。

ある日、祖母と作者が祖母の家にいたとき、母がやってきて、作者の尿をくれといってきた。ドラッグの母の尿では尿検査をパスできずナースの資格を剥奪されるからである。作者は、断った。母に健康になってほしかったし、母がこれが最後だからと頼んでくる姿をみるのもいやだった。また、作者自身も数日前に新父親のpotを吸っていたので尿が汚れていると思ったからだった。作者がこのこと祖母にいうと、祖母は数日前に吸ったものは尿検査でひっかからないといった。祖母はまた、母親を助けてあげてくれといった。祖母は家族を愛していた。作者は間違っているとわかっていたが、あのとき祖母の意見に従ったのは後悔していない。その日は泣きながら学校にいった。

この事件の前、三人で(作者、母、新父親)で外食をした。母の様子はものを食べられない、口を開けっぱなしなどあきらかにおかしく、周囲の人が母をみていた。作者は、母が次、ドラッグをしたら家をでていこうと思っていた。

尿検査のあと、学校から祖母家にいくと、祖母からずっと祖母の家にいていいといわれた。母と新父親はじきに仲がわるくなり、高校2年のときに母は新父親の家をでた。作者は高校2年から祖母と暮らし始めた。

祖母と暮らすのはおおむね楽しかったが、祖母の口調がきつく汚い言葉を平気で使うので、そこはつらかった。

祖母と暮らすにはよい成績をとる、仕事につく、祖母の手伝いをするなど条件があった。

祖母はすぐに叫ぶ人なので大変だった。

 祖母は、若い頃自分から出て行ったケンタッキー州のJacksonに戻りたいようだった。祖母は歳を取って動けなくなってからTVを愛した。

 祖母は子供全般を愛していた。愛情の対象としてではなく、観察者として。よく親戚の小さい子を預かっていた。子供達がひどい言葉遣いをすると、自分の家ではいいが、ほかのところではダメといった。祖母は、自分(作者)に虐待されている子供専門の弁護士になってほしいと夢みていた。

 祖母は背中の手術をして、歩行困難になり補助器具をつかうようになった。背中の手術は不必要だったと今ならわかる。

 母とはたまに会っていた。数週間まったくあわないこともよくあった。母は数ヶ月祖母の家のカウチで寝ていることもあった。母が働いているときは、その日ごとに作者にお金をくれた。今でも理解できないが、母はお金と愛情は同等だと思っているようだった。僕が愛情を母に示さないのは、母が僕にたくさんお金を渡させないからだと思っているようだった。僕はお金はきにしない。母に健康になってほしいだけだった。

 僕の親しい友達にさえ、僕は祖母の家に住んでいるとはいわなかった。僕はアメリカの伝統的な家族というかたちから、自分の環境が外れていることに気づいていたからだ。そして僕たちは貧乏だった。友達がクリスマスにもらうブランドの服は着たことがない。祖母が学校に向かえにきてくれるときは、祖母に車からでないようにいっておいた。だぶだぶのジーンズに男性もののTシャツに長いメンソール煙草をくわえている姿を、友達や知り合いにみられたくなかったからだ。今では、僕が祖母を一番だと思っていることを、当時の高校時代の友達が知らなかったことを後悔している。

 高校3年のとき、特別の数学クラスに入った。担当の先生は、20年間一度も学校を休まなかった先生だった。祖母は会ったこともないその先生をきにいっていた。祖母はその授業の宿題や課題のために二万ほどする計算機を買ってくれた。

 祖母は僕を邪魔せずほっておいてくれたため、祖母と暮らした3年は僕にとっていい環境だった。成績は回復した。僕はローカル食料品店のレジ打ちの職を得た。

 キャッシャーの勤務経験は、社会を見る目が養われた。僕の近所の人たちは、店に大声をだしながら入ってくる。急いで入ってきて、商品棚を必死になにかを探して歩き回る。そして、ある日は大量に買い、ある日はほんの少ししか買わない。冷凍食品を大量に買う人がいる一方で、生鮮食品を大量に買う人もいる。急いでいる人は、大抵冷凍食品を買い込み、服装は貧しく、フードスタンプで購入する。

 貧しい人だけが赤ちゃん用のものを買うのをみて、お金持ちの人に赤ちゃんはいないのかと思ったことがあった。金持ちは、母乳で育てるとしらなかったからだ。

 働いているうちに、アメリカが階級でわかれていることを知った。店主が僕のことを信頼できない層とみているのがいやだった。

 フードスタンプでソーダを大量に購入する人は、それをディスカウントショップに売っている。そういう層はレジ列に携帯で話しながら並んでいる。

 祖母に自分がレジ打ちで経験した話をよくした。僕たちの層の多くはちゃんと働いてよりよい暮らしをしたいと思っている。しかし、多くのマイノリティは失業して分配物で生計をたてている。僕が貧しくて買ったことのないT-ボーンステーキをドラッグ中毒の近所の人が買っているのをたまに見た。誰かのために買っていたのだろう。十七歳のときほど今は怒りを覚えないが、それは最初の祖母のポリシー、ワーキングクラスの男たち、民主党は、ただでは転ばない(でいいのか?)を実感したときだった。

 政治科学者たちは、アパラチアと南部の人が1世代も満たない期間に、忠実なD民主党から忠実なR共和党になった過程について多くの理由を考えている。人種関係が理由にあがったり、D民主党の市民権運動があがったりする。ほかには、宗教、この地域の福音派の保守的なところが理由としてある。大きな理由は、ぼくが店で働きながらみたような白人のワーキングクラスにある。1970年代、白人ワーキングクラスは、ニクソン派になった。理由はニクソンが、労働者階級の味方だったからだ。

 そのころ、近所に祖父母の知り合いが越してきた。セクション8を使って。セクション8は、低収入の世帯がもらえる賃貸しのクーポン券だ。祖母は裏切り行為とみていた。そういう人が近所に越してくると自分の財産の価値が下がると思っていた。

  僕たちは、働いて貧乏な人と働かないで貧乏な人を明確に区別していたが、僕たちとsection8の人たちはよく似ていた。たとえば、となりの一家の女性は、ケンタッキー生まれで、若いころに北部に移住し、複数の男性と関係し、子供と彼女をサポートなしで置き去りにした。彼女はいい人で、子供たちもいい子だった。しかし、ドラッグと深夜のけんかは普通に行われていた。祖母はこういう話をきくと怒った。

 親戚の一人も、無職者が私たちの税金で酒を買うのは我慢ならないといっていた。

政府は貧乏な人の住む場所をみつけてやるが、祖母にいわせれば、貧乏人を助けてはいけない。

——-【2017/02/01】9章の途中まで。なんか9章は、いままでの章と違ってなんか佳境っぽいので、ちまちま訳してしまった。よくわかんないとこはとばしてるし(笑)しかも途中までだし。難しいねえ。—-

——–【2017/02/12】追記。9章おわったー。

16歳のときにウィルソンの本をよんだ。工場が閉鎖されると職を失い行き場を失う人たちの話だ。「これだ!」と思ったが、これは黒人の話だった。その後いろんな本をよんだが、白人の話はなかった。
なぜ、僕の街だけがドラッグで親が逮捕されることが普通で、子供の面倒をみない親がいるような不幸にまみれているのか。社会的な現象なことは確かだが、同時にこれはもう文化なんだろう。

僕たち(僕の街の人たち)が働かない理由は、不公平を感じているからだ。オバマは炭鉱をしめた。仕事を全部中国へやってしまった。僕たちがみている世界と、僕たちが希望する価値をつなぐ橋を壊す認知的不協和を解決するための嘘だとわかっていながら僕たちが自分自身にいいきかせている。
……砕いて訳すと、
僕たちが働かない理由は、不公平を感じているからだけども、その不公平というのも、自分たちを正当化する嘘だとわかっている。

僕たちの食生活と運動習慣も墓にはやめに入ることになる。ケンタッキーの一部の平均寿命は67歳だ。白人労働者の寿命はさがっている。僕たちは朝食にシナモンロールを食べ、昼にタコベル、夜はマクドナルドだ。料理が安くて身体と精神にいいとしっていても、僕たちはめったに料理をしない。ジョギングしている人を、自立したあと、軍かカレッジかどこか遠くのところでしかみたことがない。

祖母が日曜に親戚の子供を預かった。僕は休みの日曜に子供がいる家はいやだといったら、祖母が、週末に子供と過ごしたいならおまえは大学にいってそういう仕事につきなさいといった。祖母らしい言い方だった。

よく子供には、信頼のおけるその子供を愛してくれる成人が一人いればいいというけれど、僕の場合それが祖母だった。

現在同い年の友達とfacebookでつながっている。彼女のFBはしょっちゅうボーイフレンドの写真が数週間でいれかわり、オンライン上でけんかをしている。彼女には4人の子供がいるが、13歳の娘が「おねがいだからやめて、とにかくやめて」と書いている気持ちがとてもわかる。家のなかで叫び声があり、殴り合いが起こっているんだろう。僕も当時「とにかくやめて」という気持ちだった。

僕は10年生から祖母と暮らしだしたが、祖母が誰かと暮らすことはなかった。平和だった。静かだったので勉強と宿題ができた。家で同じ人と長く暮らすという単純なことは、僕が学校の友達とつながっていること、僕が仕事を得て続けられることに役立っていた。

僕がドラッグをしなかったのも成績を維持できたのもSATをとれたのも勉強するのってこんなにおもしろいんだときづかせてくれた二人の先生にあえたのお、説明できる。ぼくは、最初の12年は幸せではなかったけど、その後はずっとハッピーだった。なぜなら、学校の終業のベルがこわくなかったし、来月は誰と暮らすんだろうという恐怖がなかったからだ。

本にでてくるケンタッキー州+ストリート名で検索したら、こんなとこらしい。(本ではフェイク名つかってるともいっていたので、これかどうかわからんけど)
なんか想像してたより、普通のとこだけどなあ。