青がない五色不動の話。

2 9月

都内には、目黒不動、目白不動、目赤不動、目黄不動まであって、青はなぜないのかという話をしたい。

江戸時代の人達は、中国から入ってきた自然界を表す5セット漢字、陰陽五行にもとづく「東西南北中央=青白赤黒黄」を子供から老人にいたるまで知っていた。つまり「黒、白、赤」とくれば、青と黄があるだろうなと極めて自然に強烈に考えるということだ。陰陽五行説になじみがない私達は、この感覚に思い至らない。

目黒はもともと馬の産地で、「馬」(め)+「畔」(くろ)で、目黒という。目黒氏という武士が『承久軍物語』にみえるほど昔からある地名だ。

808年、目黒村にある人が寺をたてた。目黒川に関する滝の近くに建てたので、この寺を滝泉寺という。そこに不動明王を安置した。この時点で、周囲に白も赤も黄も青もないので、誰も五色不動とこの不動明王が連動するとは思っていない。808年だしね。

目白も、馬の産地だが、白馬の産地だったので、「馬」(め)「白」がその由来だ。(「ニッポニカ」より抜粋。私なら信じないけどなあ)

ここに、ある人がx年(江戸時代周辺か)に、寺を建てた。新長谷寺。ここに弘法大師作という不動明王の絵を置いた。(江戸名所図会より。日本にアーティスト弘法大師、何人いるんだろう(笑))

江戸時代のある時点で、目黒エリアには、808年からある不動明王があり、目白エリアには、わりとニューな不動明王があった。

さて、駒込にある人がニュー寺をたてた。やはり不動明王をおいた。問題は、この人の出身地が、赤目山(三重県)だったことだ。

不動明王が、目黒の寺、目白の寺、赤目山出身の人の寺にある。当時の江戸の人達にとって「月曜、火曜、水曜、木曜、金曜」のようにすらすらでてくる、陰陽五行のカラー3つまで揃っている。「めぐろ、めじろ、あかめ」の居心地の悪さ。いくら「うちは、赤目山の寺です」といったところで、「赤目山」が「目赤」になるのに時間はかからなかった。「後年、つひに目黒・目白に対して目赤と改むるとぞ。」(江戸名所図会より抜粋)

これはある駅の話に似ている。4つ改札があり、当初は「中央口 東口、西口、北川口」だった。実際に北川という川があるから、北川口だったのだが、あまりに多くの人が「北口どこですか」「北口の間違いですよね」というので、北川口が北口に改名された。

また、CMYKは、シアン・マゼンタ・イエロー・キープレートの頭文字セットだが、多くの人がKは「黒」のKだと信じていたので、今は「黒」もありとなっている。このようにセット言葉には元の語句を変える威力がある。(この口調にだまされないでほしいんですが、このパラグラフはすべて私の寝言よたとえ話よ

さて、不動明王は木製であったり、画であったりするが、色を塗ることがしばしばある。多くは金色に塗られる。これを黄不動という。この「黄」は五色のカラー展開とは無関係だが、陰陽五行に慣れた江戸の人たちにとって「なにか陰陽五行と関係があるんだろうな」と思っているだろうことには想像にかたくない。

また、「青不動」「赤不動」「黄不動」という色別にペイントされた不動明王が実際に存在する。これが陰陽五行に関係しているかどうかはわからない。

青は京都、赤は高野山、ゴールドは大津にある。製作年代も同一ではないし、黄不動に限っては彫像ではなく絵であることから、誰かが「5カラー展開しよう」と意図した形跡はゼロである。おそらく現代でもいる、仏像好き、色をみると推したくなる層が、キャッチコピーとしてつけたのであろう。

ここでは、「ゴールドペイントされた不動明王グッズ」を表す言葉として「黄不動」があり、黄不動はどこにでもあるということをおさえていきたい。

さて、江戸っ子は、「赤目山の人が建てた寺の不動明王」すら、「目赤のお不動さん」と、言うようになってしまった。「黒、白、赤」ときて、「黄不動」というものが大量に存在するのなら、江戸には五色不動があるというところまで話がふくらませるのが江戸っ子の心意気である。「実は青はねえんだ」でオチをつけるのかもしれないし、誰かが「青いバラ(不動)つくれば、客寄せになるかも」と思うかもしれない。いずれにせよ、都内の五色不動は江戸の時点から後付である。そして、後付させるほど陰陽五行は根付いていた。

なお、目白の新長谷寺は焼失して、今は金乗院慈眼寺という。不動明王は健在である。

下記は参考資料と出典です。ご興味のあるかたは、ジャパンナレッジに毎年大2るといいよ。(私は仕事で使うので無料!感謝!)

 


目黒不動
目黒区下目黒2丁目 天台宗 滝泉寺の通称
りゅうせんじ 【滝泉寺】デジタル大辞泉, JapanKnowledge, (参照 2018-09-02)
東京都目黒区にある天台宗の寺。山号は、泰叡山。通称、目黒不動。開創は大同3年(808)、開山は円仁と伝える。寛永元年(1624)徳川家光が諸堂を造営してのち隆盛。
めぐろ【目黒】国史大辞典, JapanKnowledge, (参照 2018-09-02)
目黒の地名の由来であるが、目黒の目は馬から、黒は畔(くろ)から出ているといわれて、馬畔(めぐろ)とは馬牧のまわりのあぜ道の意であったといわれる。『承久軍物語』に目黒という姓の武士がみられる。
めぐろふどう 目黒不動”, 日本大百科全書(ニッポニカ), JapanKnowledge, (参照 2018-09-02)
東京都目黒区下目黒にある天台宗の寺。泰叡山(たいえいざん)滝泉寺(りゅうせんじ)の通称。808年(大同3)円仁(えんにん)が下野(しもつけ)国(栃木県)から比叡山(ひえいざん)に赴く途次、不動明王を安置したのが開創と伝え、入唐(にっとう)後に独鈷(とっこ)を投じて清泉を得たのが寺名のおこりという。1624年(寛永1)徳川家光(いえみつ)が鷹狩(たかがり)を縁に堂宇を造営、後西院(ごさいいん)天皇宸筆(しんぴつ)「不動明王」の勅額を下賜されて以来隆盛し、江戸五色(ごしき)不動の第一となり地名のおこりとなる。八百屋(やおや)お七にまつわる吉三(きちざ)の念仏堂や甘藷(かんしょ)栽培の祖青木昆陽(こんよう)の墓碑がある。境内にある独鈷滝(とっこのたき)を浴びる病気平癒祈願者も多かった。毎月8の日が縁日である。[塩入良道]

目白不動
目白, 日本大百科全書(ニッポニカ), JapanKnowledge,  (参照 2018-09-02)

東京都豊島(としま)区南部、山手(やまのて)線目白駅周辺の地区。文京区南西端にも目白台の町名があり、元来はここの地名といわれる。かつて白馬を産し、目白は「馬白(めじろ)」の意味という。

目白不動堂(めじろふどうどう)”道山幸神社”, 江戸名所図会, JapanKnowledge, (参照 2018-09-02)

同所東の方にありて、堰口の涯に臨む。真言宗にして東豊山新長谷寺と号す(長谷の小池坊の宿寺とす)。本尊不動明王の霊像は(長八寸)弘法大師の作。総門の額「東豊山」の三大字は南岳悦山〔悦山道宗、一六二九―一七〇九。黄檗帰化僧〕の筆なり。

金乗院(目白不動)[百科マルチメディア]”, 日本大百科全書(ニッポニカ), JapanKnowledge, (参照 2018-09-02)

正称は神霊山金乗院(こんじょういん)慈眼(じげん)寺。不動堂に祀(まつ)られている本尊の不動明王像は、1945年(昭和20)の戦災により消失した新長谷寺(しんはせでら)(文京区関口)から移されたもので、「江戸五色(ごしき)不動」の一つ、目白不動として人々に親しまれている。「目白」の地名は、いずれも目白不動に由来するといわれている。東京都豊島(としま)区 ©Yutaka Sakano

目赤不動
“目赤不動堂”, 江戸名所図会, JapanKnowledge,  (参照 2018-09-02)

駒込浅香町にあり。伊州〔伊賀国〕赤目山の住職万行和尚〔満行、?―一六四一〕、回国のとき供奉せし不動の尊像しばしば霊験あるによつて、その威霊を恐れ、別にいまの像を彫刻してかの像を腹篭りとす。すなはち赤目不動と号し、このところに一宇を建立せり(始め千駄木に草堂をむすびて安置ありしを、寛永〔一六二四―四四〕の頃大樹〔将軍家光〕御放鷹のみぎり、いまのところに地を賜ふ。千駄木に動坂の号あるは、不動坂の略語にて、草堂のありし旧地なり)。後年、つひに目黒・目白に対して目赤と改むるとぞ。


目黄不動
めき‐ふどう【目黄不動】”, 日本国語大辞典, JapanKnowledge,  (参照 2018-09-02)
東京都台東区三ノ輪二丁目にある天台宗の寺、永久寺の不動堂の本尊、また、それを安置する不動堂。江戸五色不動の一つ。”

青不動 京都 青蓮院にある不動明王画像の通称。群青でペイント (日本国語大辞典)
赤不動 高野山明王院 不動明王画像の通称 製作年代不詳。 深紅色ペイント(日本国語大辞典)
黄不動 黄金に塗るスタイルの不動明王のこと。大津市園城寺にある密画の通称。838年作。黄金不動では最古。(日本国語大辞典)