僕は君がいい4

14 5月

「僕は君がいい4」は、菖一朗(主人公)の人生設計に対する考え方が、ダメな人だな!というのを描けて本懐です。

やんわり日記

14 5月

5月7日(火)
昨日印刷しておいた原稿をチェック。一晩寝かすと発見があって校正もはかどる。菖一朗(主人公)の人としてダメなところが描けて嬉しい。夜、友人がネット配信動画「加州清光」をみにやってくる。加州=カナダの広報仕事もやれそうだが。

5月8日(水)
昨年、私はこの日に癌の手術をした。同じ主治医が明後日の妹の手術をする。お礼と手術成功のお願いを兼ねて、教会で祈っていると、印刷所から電話。4p分数え忘れて、追加入金。祈りを中断されて、ぼんやりすると、天気がよい日だったからか天啓を得る。仕事を少し恣意的に解釈してみた。年に一回の誕生日にならこれは許されるだろう。

5月9日(木)
妹が入院。満床の関係で一泊4万の部屋しかあいてなかった。首にスカーフをまいたコンシェルジェがチェックイン業務をしてくれて、まるでホテルだねと家族でざわつく。フロアには一泊11万の部屋もあるそうだ。だが、食事はおかゆ。むしろ、下剤。

5月10日(金)
とりだされた筋腫は1.7kgだった。赤いひょうたん型フルーツのような、モダンなダンベルのような子宮だった。重い。このせいで、なにかの臓器は背中にまわり、膀胱も圧迫されていたという。子宮をさわったり持ったり、父と私と妹のパートナーで大いに堪能する。主治医から、検体にこんなに興味をもつご家族は初めてですといわれた。妹からこの様子を動画に撮るように頼まれている。

5月11日(土)
妹の介護。妹が口をわずかにでも動かしたらすぐに水を含ませてあげたいと思う。よって一睡もできなかった。峠をすぎ、妹のパートナーと付添を交代して帰宅。だが、妹から、パートナーが夜間、職場から呼び出される可能性があることを理由に、私に病院にもう一泊泊まってほしいという要請がきた。疲れていたので「いくけど」と、冷たい態度をとってしまった。寝ないと心の余裕がなくなる。これが世間でいう介護疲れかと身にしみた。LINEであやまり、私も美味しいものを食べて、リフレッシュして病棟にむかった。妹からも謝られた。

5月12日(日)
コミティアに参加する。イベントにいくと毎回一人ずつ知り合いが増えて、友達が増えるのが楽しい。将棋に詳しい方に業界の基礎知識を教えてもらった。薦められるまま、どうぶつ将棋アプリをやってみたが、毎回「まちがい」といわれるので、やる気を失う。「まちがい」というマイナス言葉ではなく、がんばって打つ手を考えたことをほめたうえで、正解を提示するのが新規ユーザーの獲得につながるのではないか。

5月13日(月)
癌の術後一年検査にいく。女医さんから、(高田さんは)触診に耐えられるようになったので、私は診察しやすくなりましたとほめてもらえた。こんなことでもほめてもらえると患者は嬉しい。いい女医さんに出会えてよかった。同じ敷地内に入院している妹を見舞う。既に私服でウクレレを弾いていた。シャワー許可がでていた。手術明けのシャワーは、ウォーター!に匹敵する最高の体験なのだが、あれを姉妹で共有できてよかったと思う。

5月14日(火)
週末の読書会の準備のため、ジョシュ・ラニヨンの”The Hell You Say”を読み始めようとして、居間にたまった新聞に心がそれ、これを書いている。新刊の通販準備もしなければ。

曾禰昌世ちゃん宛の文書発見の話。

15 4月
この漫画にご興味があれば。Kindle-unlimited「一番星みつけた」

昌世ちゃんは、髪がトーンの人です。

真田幸村のお父さん、真田昌幸という人は、武田信玄に育てられたようなものなので、BSRの「おやかたさばー」「ゆきむらー!」は、幸村ぱぱと武田信玄で置き換えれば、あれは正しい…!

武田信玄さんの家は、いわば当時の大会社で、武田信玄には、秘書兼ボディガード兼みたいな「奥近習」というグループが24時間くっついてました。

奥近習は、武田信玄が某Jニーさんのように、手頃な少年を選抜して作ったグループで、子供のときは給仕からスタート、そのうち武田信玄にくっついて会議にでたり、戦になれば武田信玄の弾除けになり、大人になれば武田信玄の代理で、葬式だの誕生祝いだのの挨拶にいったり、戦時には隊を率いたり、最終的には国と国との交渉をする外交官的なものになったり、神社や寺に税金の書類書いたりする、いわゆる幹部候補生が奥近習です。

奥近習が何人いたかわからないんですが、50人てことはないと思う…。10人以上〜空気はあるので、そんなかんじで、ふわっとつかんでいます。歴史はフリー素材!

奥近習は、武田信玄が直感で選んでるので、家柄がいい(親世代も信玄に仕えている)人もいれば、昌幸のように人質出身もいます。
武田信玄と恋人関係?で有名な、美形高坂弾正さんも農民出身なので、信玄さんのチョイス自由自在感がわかろうもの…。ただ、高坂弾正は、甲陽軍鑑/品5によると、顔というより、頭の回転のはやさで、即日事務所入りだったそうです。(でも顔もよくても誰も特に困らないよね)

この漫画にご興味あれば。BOOTH/無料漫画

昌世ちゃんは、奥近習の中でも、出自がいいとはいえない系で、完全に実力のみで、あがってきた人です。
実力の証拠としては、神奈川県の三増峠(みませとうげ)の戦い。奥近習は、検使といって、戦では参戦せずに、誰がどのくらい戦ったとか、裏切らなかったとかを、銭湯の番頭のように見るために、その場にいない信玄の目の代わりとして戦場に派遣されたりします。三増峠の戦いでは、ある隊長さんが戦闘開始後すぐに戦死、リーダーがいなくなった隊は簡単に総崩れになりそう…というそのときに、検使として見ていただけの昌世ちゃんがさっそうと指揮をとって戦い始めて、ちゃんと隊をまとめられるという…。ゴールキーパーだって11人のうちの一人だ的なことをやる人なのです。

その後、さっさと出世して、幹部として独り立ちしていったのですが、のちに昌幸と昌幸の弟・真田信尹(のぶただ)(大河「真田丸」だと、栗原英雄さん)と、家族ぐるみで仲がよくなりました。たぶん、単純に昌幸とウマがあったんだと思う。昌幸も奥近習の中では、どこの御馬様のお骨ですか的人質出身なのです。昌幸も昌世も帰る実家やバックアップしてくれる家がないんですよね。

そんな昌世ちゃんの、勝頼様→昌世ちゃん宛の朱印状が発見されて、びっくりしましてね…。活字でしか存在を意識していなかったので、くずし字で名前をみると「本当にいたんだ」感がありました。

ニュースのサイト

ニュースタイトルの「武田勝頼の朱印状発見」に、いつもどおり、勝頼様なら保存せな…と、流れでキャプションをよんでいたのんですが、そこに「曽根昌世」とあって、「え、まさよちゃん!?」となりました。
知名度は、勝頼様>曾禰昌世 なのですが、私は「曽根昌世」のほうに仰天しました。初めて「曽祢内匠助」という字を見た…。

漢字は、曾禰昌世でも、曽根昌世でもどっちでもいいと思います。「まさよちゃん」は、私の持病なので、ほっといてください…。

手持ちの辞書「武田氏家臣団人名辞典」には、昌世ちゃんは天正5年が初出とあるのですが、天正3年の文書がみつかったので、さっそくかきたしました。こういう発見はうれしいです。

ニュースのサイトに古文書の写真がのっています。私は、あいかわらず日付と末尾の依件如(よってくだんのごとし)ぐらいしか読めないのですが、宛先(ひだりはじ)の「曽祢内匠助殿」に、「ほんとに昌世ちゃんいたんだー!」感があって、とてもテンションのあがるニュースでした。愛知県刈谷市歴史博物館、GJ。
念の為、この古文書は、To.昌世ちゃんなので、昌世の直筆でもないし、昌世が考えた文面でもないです。ほんとにただの文字だけ(笑)

ただ、なぜ、刈谷家に仕えた藩士の倉からでてきたのかは謎です。昌世ちゃんが受け取ったはずの手紙が、なぜ刈谷の家に…。しかも巻物にも仕立てられていないので、本当に400年間、放置されてたんだと思う。

放置されていた理由のひとつに、この古文書には、「武田勝頼」とは書いてないことがあるんだと思います。ニュースサイトには「武田勝頼」とかいてあるけど、古文書では、跡部大炊助(当時の武田勝頼の事務官班長みたいな人。文書を出すのが仕事)になっているのです。(左から4行目のあたりが差出人)武田家をかなり知ってる人なら、家臣の名前(実名じゃないほう)も知っているし、多少古文書好きなら、朱印で「お〜武田家の朱印だ〜」とわかるのですが、私も興味ない武家の古文書はいっさいわからないのと一緒で、ぱっと見、有名な武将の名前の漢字もみえなければ、ただの「古い手紙」だよね…!捨てずにいてくれてありがとう!

この刈谷市ですが、二週間ほど前には、某お寺から秀吉の朱印状(かなり珍しい)もでてきているので、刈谷家ゆかりの人というのは、主人からもらったものは捨てたり売ったりはしないけど、とりあえずどうすればいいのかよくわからないので、家電の保証書とかカードの入会案内的にとっておくというひたすら真面目な性格なんですかねえ。400年間も…。